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「RADIO SOLARIS」について

ニナ・フィッシャー&マロアン・エル・サニ

ラジオステーション

われわれがこのプロジェクトをはじめたのは2004年である。以前東ドイツに属していたこのラジオステーションを訪れてみたのだ。それは現在、完全に空虚な建物であったが、建築はわれわれを圧倒的するもので、特に放送用のスタジオはすばらしいものだった。このスタジオは、DDR(東ドイツ:ドイツ民主共和国/1949建国)の新しい社会主義的主張を体現する文化的放送コンテンツを制作するためもので、ワルター・ウルブリヒト(DDR初代大統領)はこのように述べたものである。「放送、特に文化放送は、われわれのリアリティの芸術的認識やデザインを形作る創造性に満ちた方法である。文化的革命こそは、社会主義の基礎をなす部分になるものの一部なのだ」と。アーティストももちろんそこに含まれていなければならなかった。経済と文化、政治と文化は完全にセットで構想されていたのである。

第2次大戦後のドイツにおいて、〈放送〉はアメリカ、イギリス、フランス、ロシアの戦勝4大国の重要なツールとして想定されていた。まさにそれと同じ理由により、社会主義政府(東ドイツ)が自らの内に、近代的ラジオステーションを早急に建設することを求め、それを建築家フランツ・エーリッヒに発注したのである。

建築家フランツ・エーリッヒ

エーリッヒは、バウハウスアカデミーに学び、西ベルリンのラジオステーションを設計した建築家ぺルツィックのアシスタントであった。この東ベルリンのラジオステーションは、1951年から56年の間にオーベルシェーネヴァイデに建てられた。彼の他のプロジェクトとしては、アドラーショフ、トレプトアーのTV局(1956−57)などがある。

ソラリス

何もないラジオステーションに入った時、われわれは、タルコフスキーの「惑星ソラリス」に登場するケルヴィン博士になったような気分に襲われた。そこでは、ミステリアスなドアがあり、どこに行き着くか知れない階段が続く。それぞれ異なる表情をもつ回転壁、不規則な角度で作られた部屋、ホールへ向かう通路には巨大な電源盤がいたるところにある。全ての部屋に装備されたエアコン、はりめぐらされた特殊なコミュニケーションシステム、建物の基礎地面から何も接続なしに空中に吊られた巨大な空虚な空間…。

この場所を知るにつれ、その全ては、放送プログラムのための能う限りのベストサウンドを得るために構築された建造物なのだということがわかる。サウンドをできるだけリアルにするために、ある種のリアリティ、それ自体が社会主義的な世界、そのサウンドを創りだすのだ。

ここにわれわれはタルコフスキーのフィルムとの相似性を見いだす。(「惑星ソラリス」に出てくる)ケルヴィン博士はたびたび訪れる「お客」、つまり彼の無意識の物質化、彼女についてのケルヴィンの記憶の物質化した「人」にまみえるのである。(注:映画では、未知の天体ソラリスは、観測者の脳に働きかけ、人の強く記憶に残るものをニュートリノ系の物資によって物体化する性質がある、とされる。それを映画では「お客」と呼んでいる。)

社会主義的思想のリアル化の帰結であるラジオステーション、人間の最後の問い(人間とは何か、何が人間ではないのか)を解決しようとしたソラリスの宇宙ステーション。この双方のユートピアとも使命をもち進みながら、成功することはなく、その後粛清に見まわれた。

ラジオステーション

非常に長い時間空虚なままであったこの空間は、特にコンサートルームは、最近ではその最良の音響状態によってたびたびハリウッドのプロダクションに使われたりしている。またわれわれが撮影をおこなった2004年の夏以後、建物自体の所有者が変わっている。しかしこの建物の果たす未来は未だ不明のままである。